日めくり Evangelical World 伊豆

伊豆半島のサクラの雄 河津桜

2015年02月28日
サクラを女性に例えるなら雄は変だが、武士に例えることもあるのだからいいのかもしれない。『花は桜木、人は武士』と言いますから・・。周囲から河津桜は今日はこれほど咲いていたという情報につられ、億劫ではあったが行ってみました。息が詰まるほどの咲様に驚かされます。








サクラの花もすごいですが、人も車もすごかった。どこにも止められる駐車場が無く、当所もなく彷徨った挙句にふと気が付くと知り合いの家の前におりました。不思議な気がします。河津など道も知りませんのに。お願いして車を止めさせてもらい急いで写真を撮ってきました。雨が降ればひとたまりもないと思いますので、雨の降る前に御覧になった方がとは思いますが車で行かれるなら早朝が良いのではと感じました。数年前より人出がすごいような気がします。春の強風に煽られたサクラのトンネルが豪華でした。

『人の一生は、部屋の中を掠めて飛び去る燕のようなもの。我々は何処からともなくやって来て、どこへともなく去ってゆく。見透し難い暗さが後方にあり、濃い闇が前方にある。愈々我々の時が来た時、我々が、旨いものを食べたとか食べなかったとか、柔らかい着物を着たとか着なかったとか、大きな財産を残したとか何一つ残さなかったとか、栄誉に輝いて暮らしたとか蔑まれたとか、学者と思われたとか無学者と思われたとか言ったことが・・・・我々が神に委託された才能をいかに活用したか、と言うことに比べてどれほどの意味を持つであろう』と、ヘンリー ジョージが述べたと書かれていました。人間は脳のほとんどを一生涯使わず仕舞いであるから、とてもとても・・と感じます。せめて、言われたことぐらいはやってみなければと思います。  

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ウグイスの声と明るい陽の光、伊東の海

2015年02月27日
昨日は一日中雨模様でした。今朝は陽が昇って来る頃はまだ名残の雲がありましたが、出かける頃には一杯の青空が広がっていました。ウグイスの声もして思わず深呼吸した次第です。

まだ、ウグイスらしき啼き方には程遠い感がありますが、そのうち調子が出てくることでしょう。イソヒヨドリとの鳴き声合戦がまた繰り広げられます。春の軽やかな気分がやってきました。

伊豆高原城ケ崎のさすらい人であるブッチの健康が心配だと、友が電話してきました。クリスの主治医であったドクターのところに写真を持っていき,薬を処方して貰いたいので、撮って欲しいと言ってきたのです。さすらい人でありますから、いつシャッターチャンスが訪れるかは難しい判断が求められます。友の予想では、朝食をもらっている家には毎日やって来るとのことなので、その時を狙うことになりました。月曜日は出社前にカメラかついで城ヶ崎まで行こうと思います。人に馴れないので捕まえて直に医者に診て貰うことが出来ません。保健所がブッチを捕獲しようとしているの知って、友は気が気ではありません。『動物は己の避けがたき死を予見し得ないゆえに、死の恐怖を知らない』と、トルストイが書いています。ブッチは自分の健康状態を知らないことでしょう。友人夫妻にとりましては大切な野良ちゃんなのです。  

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ちゃんとやって来ている春 伊豆高原城ケ崎

2015年02月26日
足元の植物に目が行くと、フキノトウがいくつも花を咲かせていました。リフォームされた家が買手を求めている物件の庭で。昨年も見たはずのフキノトウなのにとても懐かしい感じがしたのは不思議です。


庭は傾斜がありますが、それを上手に利用して尚且つ野草があちらこちらに見受けられ、自然な感じもまたそれなりに良いものです。今朝は曇天に少し雨が降り出しておりますが、気温はさほど低くないようで、寒がりのくせに今朝はストーブをつけるのを今まで忘れていました。春は確実にやって来たようです。

『我々が自己棄却と呼んでいるものは、己の動物的吾から精神的な“吾”へと意識を移す結果に過ぎない。この意識の移動が行われさえすれが、それ迄は棄却と思われていたものが、別に棄却と言うほどのものではなく、ただ不要なものからの当然の離脱にすぎない、と見えるようになる』とトルストイが書いています。物への拘りは当の昔に失っているが、自分が固執している考えにしても大したものではないように最近は感じる。所詮人間の考えることは、創造者の思考回路には遥かに及ばないと聖書を読むと解ってくるからかもしれない。全知全能の神がいかに不完全な人間を慈しんでおられるかを、多くの人に知ってほしいと思う。  

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沢山食べて・・今のうち 伊豆高原

2015年02月25日
友の家のウッドデッキの手すりに、小鳥やリスのために置いてある餌に心慰められている。朝のうちはリスがやってきて、かぼちゃの種?を両手で持って頬張っている光景は穏やかさそのものです。リスの食事時間が終わるころ、今度は小鳥たちがやってきます。




野鳥図鑑によると、カワラヒワと言う種類らしい。英名はオリエンタル グリーンフィンチ、カナリヤの近種だとのことで啼き声が良いとのこと。ご主人が申しますには、冬季のえさの乏しい時には餌を置いて、暖かくなってきたら庭の虫を食べてもらうために置かないのだそうだ。シジュウカラやジョウビタキたちもやってくる自然を満喫できる伊豆高原ライフそのものです。

パスカル曰く『もしも確実なことのためにしか何事もしてはいけないとしたら、宗教のために何もしてはいけないことになろう。なぜなら、それは確実ではないからである。だが人は、どんなに多くのことを不確実なことのためにすることだろう。航海とか、戦争とか。だから私は言う、何事も確実でない以上、全く何もするべきではないだろうと。また、我々が明日の日を見るということよりも、宗教の方にもっと多くの確実さがあるのだと。なぜなら、我々が明日の日を見るだろうと言う事は確実ではないが、我々がそれを見ないだろうと言うことは確実に可能であるからである。人は宗教について同じように言うことはできない。宗教が実在するということは確実ではない。しかし、宗教が実在しないということは、確実に可能であると、だれがあえて言いうるであろう』。したがって、「聖書をお読みください」と吾は言いたくなるのであります、虚しくその言葉が返ってくるとしても。

昨夕方、ついに鶯が鳴き始めました。去年よりずいぶんと遅れたように感じます。  

Posted by 東和開発株式会社 at 10:10Comments(0)動物

伊豆高原の豪華絢爛

2015年02月23日
不動産の写真を撮りに出かけた先で、お花見先取りでした。よそ様の庭でしたが思わず撮らせて頂きました。




当主の方が仰るには、皆さんが立ち止り写真を撮っていかれるとのことです。本当に美しい幹と見事な咲きぶりに驚かされました。城ヶ崎は比較的早くから花が咲きますが、このサクラは特別のように思われます。河津桜の種類ではないとのことです。当の河津でもそろそろ見頃となっているのでしょう。観光バスが行き交う賑やかなシーズンが始まったようです。

トルストイがこのようなことを書いています。『いわゆる異端派の協議の中にのみキリスト教が姿を見せ、進歩していった、つまりキリスト教が解明され、実現されていったのである。異端派にも迷妄は含まれていたかもしれないが、また真のキリスト教も含まれていた』。その状態は今もあまり変わりないと思われます。また、『キリストはいかなる教会も建てなかったし、いかなる国家も建設しなかったし、いかなる法律も制定しなかったし、いかなる政府も作らなかったし、要するにいかなる外的権威も設けないで、ただ神の掟を人々の心に刻み、それによって人々が自律的な存在となるように努めた』とハーバー ニュートンと言う方が書いたとも述べられていた。キリストは創造者の思いを人々に伝えたのであるから、同じ創造者を共有しているユダヤ教も、イスラム教もキリスト教もそうであらねばならないものを…今日もまた中東は戦禍の場と化しているのだろうか。  

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いつしか出来た、伊東宇佐美の留田の砂浜

2015年02月21日
昔此処には砂浜はありませんでした。磯が広がっていた記憶が残っています。其の頃はもっと漁業がおこなわれていたようにも思います。


いつの間にか小さいですが、足の裏に心地よい砂浜が出来ていました。曽祖父の船着き場がそこにはあり、その後ろに有った家の二階から彼は沖から戻る自分の船を眺めていたそうだ。大漁旗を揚げていなくても、どれほど魚が獲れたかは船の沈み具合で分かったらしい。現在はその船着場もありません。記憶の中から曾祖父の家も既に失われてしまいました。時間の経過の凄さと言うのでしょうか。これも新しくできた階段に腰かけると、正面に青い大島が見えます。穏やかな砂浜でピンクの桜貝を拾って帰りました。

タルムードに『己の罪を意識することほど心を柔軟にするものはなく、いつも自分は正しいと思いたがること程、心を頑なにするものはない』と言う訓えがあるそうだ。いつも自分はいかなる人間であるか自己吟味せよということなのだろうが、それはなかなか難しく感じる毎日だ。『まだ力があるうちに罪を改悔するがよい。・・・・人間としての生命力が残っている間に改悔したがいいのである。燭台の灯が消えないうちに油を補給しなければならないのだ」ともあるそうだ。短い人生であるからして、もう少し迅速に改めることに努めてみたい。  

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春一番がやってくる 伊東の海

2015年02月20日
日曜日に来るのではないだろうか…と言う予報である。今朝のこの風景はまさにそれを暗示しているようだった。ほんの一瞬の光景ではあるけれど、一日がきっと良いものとなるのではと言う気分にさせられます。


伊豆高原に住む友が、海は見飽きた・・と言いますが、毎日見続けても吾は飽きません。飽きたと感じる方が不思議に思われます。『雲は天才である』と詩人が述べたではないか。海だって宙だって天才です。まだまだこれからもきっと素晴らしい光景を見せてもらえるはずだと確信が深まるばかりです。でも、『人間は一人一人、その本質を他人に伝えることのできない内面的生活の深奥がある。時にはそれを人々に伝えたくなるけれども、すぐにまた、完全にそれを他人に伝えるのは不可能なことを感ずる』『人間は、独りで死んでいくように、その内面的・精神的生活に於いては、常に孤独である』と、トルストイは書いています。全く然り・・なのでしょう。

  

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花より枝ぶりの妙 伊豆高原

2015年02月19日
梅はさして珍しいものではありませんが、枝ぶりが変わっているものが多いような気がします。名前は「紅枝垂」と書かれていました。


次の写真は「雲竜梅」と言う名前です。まさしくクネクネと竜が空を登っていくような雰囲気の枝ぶりです。


バラ科サクラ属だといいますから、ツル薔薇を想えばさほど驚くことでもありませんが、ユニークな枝の伸びようだと思います。天翔る竜に肖って幸運を願う人に人気だそうだ。そのようなもので幸運がやってくれば苦労はないのだが・・・。今朝は6時半に太陽が海から昇ってきました。朝のうちは雲が多く太陽の光を遮っておりましたが、今、陽射しは春を感じさせる暖かさです。愈々寒さも終わりに近づいて来たのだと感じさせてくれます。

ドイツ、フランス、そうしてウクライナ紛争当事国の首脳が集まって夜通し会議をしていたのは、デバリツェボ攻略のための戦略であったとニュースが報じています。ロシアの大統領のにんまりと笑っている寒々とした青い目が恐ろしく感じた。目の前で歴史が繰り返されているようにも思われた。『ヘロデが殺させた2歳以下の幼児のうちに、彼自身の男の子がいたと聞いた時、アウグストゥスは、ヘロデの子であるよりも、ヘロデの豚であるほうがましだと言った』と歴史本に書かれているそうだ。2000年も前の事であるが、為政者とは斯くも容赦なく残虐でなくてはならないものかと考えさせられる。  

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伊豆高原は梅の花満開

2015年02月18日
書けと言われてもとても書けそうもない名前でした。『徽州檀香』(キシュウダンコウ)と名札がついていました。ネットで調べてみようとしたが、中国語なのでやめました。字だけなら、なんだか古い中国の絵をみているような気になりますが、花そのものは優しい春の訪れを告げるに十分な可憐さでした。




檀香と言うだけあって、傍に鼻を近づけると微かに芳しい香りがしました。空気に香りをつけるのは人間よりやはり植物が優るような気がします。音楽と同じで、心地よい香りはその時の感情をずっと後になってもふっと思い出させてくれるようにも思います。今週末は気温が上がってくるようなので、河津桜も満開となるのではないでしょうか。昨日伊豆高原の大室山裾では雨ではなく雪でした、春も近いと申しますのに。

イスラム国の表示が目まぐるしく変わる。最近は単に「IS]と書いたりしているを知った。国の様でもあるが、テロの集団のようにも思う。昨日のニュースではエジプトからリビアへ出稼ぎに行っていたキリスト教徒を浜辺に並べて殺した映像がnetで流れ、エジプトが空爆を始めたと報じていました。事態は何処まで進んでいくのだろうか…と空恐ろしく感じました。今から300年ほど前の英国の詩人、ジョン ミルトンという人は40代で盲目となり、『唯に立ちて待ち続けるもまた仕えるなり』と詩に書いたそうだ。そのように静かに信仰することはできないのだろうか・・・とつくづく思います。  

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海上保安庁『拓洋』さんがやって来た、伊東の海。

2015年02月16日
立つ場所によってはまるで別人のように見えるのは人ばかりではないようだ。いつも大きな船がやってくると、自ずから停泊位置があるようで、たいてい同じような場所に留まるものですが、昨夕暮れに珍しい場所に一隻の船がおりました。海岸の方に船尾を向けていたので、何の船かわからなかった。明るくなれば分かると心待ちにしておりました。






朝になって見るといつもの海上保安庁の船でした。大型測量船『拓洋』です。全長96m乗組員61名、1983年建造。見知った顔でも、会う場所によっては、「何処かで会ったことがあるような」とか、全然分らないこともあります。夕陽の中の『拓洋』は、見たことのない白い優雅な姿に見えましたが・・。

エピクテトスが『決して病気しないような頑健な身体はないし、決してなくならない富もないし、決して陥れられない高い権力と言うものもない。それらはすべて無常なもの、はかなく過ぎゆくものであり、それらのものに自分の人生を託する者は、常に不安や恐怖に駆られ、悲哀や苦悩を覚えるであろう。彼は決して自分の望むものを獲得することが出来ず、避けたいと思うものに陥るであろう』と書いているそうだ。 現代は物質に重きを置く人がほとんどであろうから、このような言葉を理解するのは難しいのではと思う。自分のコントロール下に置くことのできないものを置こうとすることでストレスを感じている向きも多いのではと考えます。パスカルは『自分の生命を精神的自己完成の中に置く人は、不満を感ずることがない。なぜなら彼の望むものは、常に彼の支配下にあるからである』と書いています。そんな風に考える人が増えれば、世の中もう少し良くなるのかも知れません。

  

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