日めくり Evangelical World 伊豆

伊豆高原の2016年はもうやって来ています。

2015年12月29日
このところの好天で大島や利島と言った伊豆の島々は連日観光客の目を楽しませています。お正月休みが始まりますので、伊東の街も何となくいつもよりも車の交通量が多いような気がします。





初日の出見物の方々のために、例年菜の花の開花を併せてごらんにいれようと四季の花公園の造園方は心を砕いているのを見ておりました。一昨日どの程度開花しているのか見に行ってきました。未だお休みでもないでしょうに、かなりの人が来ていました。菜の花は満開でご覧のとおりでした。今年は寒さが本格的になっていない為か、菜の花も伸び伸びとしているように感じます。正面の大島の左裾のあたりから太陽が昇って来るのだそうです。天候に恵まれてくれると、来て下さった方々に喜んでいただけるのではないかと思い、天気予報が気になるところです。

『雑務か遊興に忙殺されて自分の過去を再検討することもなく過ごし、どちらかといえばただせわしなく生活を送っているだけの人には、はっきりとした思慮が失われている。そういう人の心情は混沌としたものになり、思想は云わば混乱してくる。そうなると、じきに話の仕方に脈絡がなく断片的で、まるでこま切れみたいになって、この混乱を丸出しにするようになる。外部的なせわしなさ即ち外部から与えられる印象の数が増してきて精神の内部的な活動が少なくなっていれば、右の混乱はそれだけ甚だしくなっているわけである。時が経って、我々に働きかけていた境遇や環境が過去のものとなった暁には、そのころの境遇や環境によって醸されていた気持ちや感情を呼び戻し蘇らせることが出来なくなっているものだという事を、ここに付言しておくべきだろう。とはいえ、この境遇や環境に動かされて述べた我々自身の言葉は、思い出すことができる。ところでこうした言葉は上の気持ちや感情の所産・表現・尺度なのである。だから記憶か紙に託して、記念すべき時々のそう言った言葉を注意深く保存しておくがよかろう。この目的には日記と言うものが大変有益である』とショーペンハウアー が述べています。暮れになって特に毎日忙しい日々が続いているため、このショーペンハウアーの言葉が心に沁みます。日記をつける習慣はありませんが、手帳に時折その時の気持ちを書いておくと、心の再検討をすることが出来るような気がしています。体力が失われていますので、せめて黙想による精神的活動に励んでいけるようにと念じつつ、第九に合わせて掃除をしようと考えています。黙想と言えるのかどうか疑わしい限りですが・・・。  

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伊東小室山から見る亀石峠と富士山

2015年12月24日
見慣れた風景だが、いつみても心洗われる感じがします。昔々はこの峠を越えて中伊豆方面に行ったのか、はたまた冷川峠を越えて修善寺方面に行ったのでしょうか。さぞかし難儀であったことでしょう。今では車で、カーブや急坂を難なく超えていくことが出来るのですから、ありがたいことです。


今年は世界中で暖かい年末のようですが、富士山はやはり雪に覆われた方がより美しく感じます。地球上にはそれぞれの自慢したくなる風景が至る所にあると思います。そのような場所に行ってみたいと思いますが、あまりの自然の素晴らしさに、きっと自分の小ささをより感じてしまうことでしょうから、写真を見るだけに留めるのが無難と言うところでしょうか。

体調が悪く医者へ行った方は加齢によるとかストレス性のとか言われて、ビタミン剤をもらって終わることもあるのではないかと日頃思っています。『憂鬱は正真正銘の病気なのだ。医者がその原因を探り当て、直すことも時にはあるが、この治療そのものが注意を身体に引き戻し、言いつけを守って養生しようと気を使うことによって、その効き目も薄れる。だから賢明な医者なら、哲学者のところへ行かせる。しかし、哲学者のところへ行って、何を見つけるだろうか。読みすぎの人間、近視眼的な思考をする人間、つまり自分よりももっと憂鬱な人間である。国は医科大学と同じように、生きる知恵を教える学校を開校すべきであろう。どうやって教えるのか。本当の学問によって、すなわち事物、自然の観想と、宇宙と同じ広さを持つ深い詩情を教える事によって。人間の眼は遥かな水平線を眺める時、安らぎを得るようにできている。其のことは我々に大いなる真理を教えているのだ』と、アランは書いています。海と空、山と空そして夜の星空・・伊東の恵まれた自然が吾にとりましては、アランの申す通りであることを認識しています。  

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海の見える場所を探して・・伊豆高原

2015年12月18日
都会人には海の見える別荘を所有するのは憧れと言えるでしょう。人生の穏やかな一時を、海や山の美しさに心を委ねたいと誰しもが思うものです。昨日は、そんな方のご要望をかなえるべく、伊豆高原10か所の海の見える土地を探しに出かけました。「海遠望」と書かれていましても、その見え方は様々です。実際に行ってこの目で見てみないと良し悪しは分かりません。お客様にご覧いただく前に、己が目で見ておかねばなりません。


探しているうちに、伊東の芸術家の筆頭である重岡先生のアトリエの前に出ました。思わずお断りもしないで写真を撮っておりますと、先生と秘書の方が出てこられました。勝手に撮ったことを詫びると、お二人ともにこにこしておられました。芸術もやはり、環境の良い美しい自然に囲まれたところで生まれるのであろうと再認識いたしました。そしてお薦めの土地も見つかりました。

ラッセル卿がこのように書いています。食べてゆくためにガムシャラに働くことで疲れを招いているような人達の場合を『疲れは大部分、心配から来ている。そして、心配は、より良い人生観を持ち、精神的な訓練をもう少しやることで避けることが出来る。これはどういうことかと言えば、ある心配事について何も打つべき手がない場合にも、そのことをあれこれ考えるのをやめることが出来ない、ということだ。・・・・賢い人が心配ごとについて考えるのは、考えることが何か役に立つ場合に限られる。それ以外の時は、ほかのことを考えるか、それとも、夜分であれば全然何事も考えない。・・・・普通の日の普通の悩み事ならば、その始末をつけなければならない時は別として、締め出すことは全く可能である。きちんとした精神を養うことで、どれほど幸福と効率がいや増すかは、驚くほどである』とあります。マタイ6章34節には『それで、次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日はには次の日の思い煩いが有るのです。一日の悪いことはその日だけで十分です』とのイエスの言葉が記されています。吾のように、明日生きているかどうかわからないから思い煩うことはないという意味ではないようです。  

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伊東、大室山の年末

2015年12月17日
いつもなだらかな稜線は見るものに穏やかさを与えてくれる大室山、初冬の入り口の暖かな日に山肌に空の雲の影を映していました。


山焼きの折の燃え盛る炎は一時の激情を表していますが、秋のススキの季節には風を穂にうけて靡く稲取のススキに負けない饒舌さを感じさせます。リフトで頂上に上るのも、これからは空気が澄んできますから、遠くの房総半島や富士山を眺めやれることでしょう。噂によると、スカイツリーも見えるとか・・・。

『愛は、他のいかなるものにもまして、人を賢明にする。ただ愛のみが良く、人々の本質と事物の実相とについての洞察を、また人々を助けるためのもっとも正しい道と手段についての本当の透徹した洞察力を与えてくれる。だから我々は、あの事この事について、何がもっとも賢い処置であるかを問う代わりに、何が最も愛の深い仕方であるかを問う方が、大抵の場合、確かに良策である。というのは、後者の方が前者よりもはるかに分かり易いからである。何が愛の深い仕方であるかについては、才分の乏しい者でも、自分を欺こうとしない限り、そうたやすく錯覚に陥る事はない。ところが、もっとも才能豊かな人でも、ただ賢さだけでは将来のあらゆる出来事を正しく予見し、判断することはできない』と ヒルティは述べています。 他の人に愛を示すことの難しさは日頃悩むところです。溢れすぎず、足りな過ぎずを考えながら行動せねばならないことだけはわかるのですが・・・。  

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伊豆では元気なのは植物だけではないかも知れない!

2015年11月28日
柑橘類があちらこちらで実を育む情景が見られる季節となりました。暮れまではミカン狩りが伊豆半島の観光ではメインになることでしょう。富戸で写真を撮る目的地にはユズが鈴なりとなっていました。




この土地が売れるまで所有者の方は、このように樹の手入れをして過ごされるのだろう・・・とふと思いました。伊豆では、都会人ならきっと感動物であろう、レモンも日に日に実を大きくしています。自分の物でなくても、なんと楽しく感じることでしょうか。ごく自然に自分の庭にこのような木々を植え育てることが出来る伊豆は、やはり特別な場所と言えるような気がしています。どんなことでも同じだと思いますが、対象となるものに愛情を持てないと、物事はうまく運ばないような気がします。きっと、そのうち買い手が現れる事でしょう。

ショーペンハウアーの本の中に出てくる寓話に笑ってしまいました。『ヤマアラシの仲間の者どもが、ある寒い冬の日のこと、お互いの体温で、凍えるのを防ごうとして、ぴったり寄り合った。けれども間もなくお互いに相手の体に付いた棘の痛さを感ずるようになった。そこでまた互いに離れ離れになった。ところが温めあう必要を感じてまた寄り合うと、また例の棘の災いが感じられられた。そのため寒さと棘との二つの苦しみをかわるがわる繰り返した挙句、結局一番我慢しやすい適当な距離を発見した』。…この間隔、中庸の間隔が礼儀作法そのものと言うのだと書かれていました。なるほど。そして『自分自身の内面の温かみを多く持つものは、いざこざを与えたり与えられたりしないように、むしろ社交界から遠ざかることを好む』と書かれていました。なかなか含蓄のあるものですが、実際、自分に当てはめて考えてみると難題続出の感ありです。  

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快晴の空の下、伊豆稲取細野高原に来たれ‼

2015年11月05日
と叫びたくなるような秋空の下、友達と4回目の細野高原ススキの原へ出かけました。






大島は勿論、遠くには三宅島がうっすらと浮かんでいます。伊豆七島を眺めやりながら伊豆に住んでいる素晴らしさを異口同音に発することとなりました。ウィークデーでありましたが、観光客が来ていました。次第に有名になってきているのかもしれません。今年の入山料は昨年より100円値上がりして600円になっていました。許せる範囲と言えるのでしょう。標高821mの頂上へは途中迄、無料の車の送迎が有ります。昼間の温かい時間なら軽装でも大丈夫ですが、午後になると風が冷たく感じるかもしれないので、羽織るものを持参するのがお薦めです。下山は45分ほど歩く自信のある方はススキに囲まれてのんびりと散策も一興かと思います。11月末まで楽しめることでしょう。耳寄り情報…今年からだと思いますが、犬を連れて上ることも送迎バスに同乗される方の同意が有れば可能とのことです。但し、ケージが必要ではありますが。

ショーペンハウアー の続き:『人の意見を反駁せぬがよい。人の信ずる不合理を一々説いて思いとどまらせようなどと思ったら、メトセラ程の高齢(創世記5章27節には、959歳まで生きたと書かれている)になっても、けりがつくまいということをよく考えてみるがよい。また如何に好意があっても人を矯正する意味の言葉は、対談の際、一切慎むがよい。人の感情を害するのは容易だが、人を矯正するのは不可能とまではいかなくても困難だからである。・・・・最も重要な問題について真剣に世を教え導くために世に生まれてきた人が、何の怪我もなくて済むなら、その人は幸運だったと言ってよい』と述べています。そう謂われてみれば、どんな問題に関してもまったく同じ意見の者はいないのだと日頃分かっているのだから、意見の集約などと行ってみてもなかなか纏まらないわけである、と妙に感じ入りました。  

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特大豪華なドッグラン、伊東松川湖

2015年09月14日
クリスが逝ってしまってからは松川湖畔へ一人で行くことがためらわれていますが、あれからもう2年が経過しました。松川湖畔はパンパスグラスが美しく靡いていて、人影もまばらでした。


都会ではこのような風景を目にすることは決してありません。駒沢公園では犬が犇めいているといいたくなるような賑やかさでありましょう。鹿の糞であろうと思うものを散見しますが、其れさえ気を付けていれば美しい緑の芝生を楽しめます。伊東にもこんな場所があったのだと…認識のないのは吾だけかもしれませんが。


洋もののススキと感じるパンパスグラスは、近寄ってみるとススキのような繊細さはありませんが、力強さは感じられます。遠くから眺めるとよいかもしれません。

阿蘇山が噴火したと報じられました。最近の大水と言い、なんだか心配な世の中ではあります。大小様々の災難は我々の生活の根本的な地盤を為す要素だと述べた後、ショーペンハウアーはこのように書いています。「さればといって陰気型の人間となって、ベリズフォード(イギリスの著述家)が言ったように、時々刻々の「人生の悲哀」を慨嘆してしかめ面をしたり、まして「蚤に咬まれて神に訴え」たりすべきではなく、用意周到な人となって、人間から起きる災難でも、事物から起きる災難でもすべてこれを予防し防止するという点で大いに注意力を磨き之を鋭敏にして、利口な狐のように、大きな不運でも、小さな不運でもすべて注意深く避けるようにするがよい」と有りました。今朝もこの活気のない銀座元町の商店街を「ありがとう」の連呼だけを叫ぶ選挙カーが通り過ぎるのを眺めつつ、やはり世からは離れているべきと心の中で呟く吾です。  

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緑優しい大室山、27年夏

2015年07月25日
大室山の緑の山肌に空の雲の影が落ちて、眺めているだけで穏やかな気分になります。里山の御主人も同感であるとのことでした。


ここから見える大室山の重量感から考えると、凡そ4000年前の噴火でできたと申しますから、当時の状況を思うと背筋が寒くなるような気もします。現在はこのような穏やかな様子ですが・・・。4000年前と言うと、モーセがイスラエルの民のエジプト脱出の先頭に立つより500年前のことです。そう考えるとそんな前でもなかったのだと感じます。でもそのころ此処には人は住んでいなかったのだろう。遠い昔のような、且つそんなに昔の様でもなく・・・地球のいとこが見つかったとのニュースが有りました。1400光年向こうにあるのだそうだ。其れがあって何になろうかと、へそ曲がりの吾は思います。人生は短いのですから。

へそ曲がりは吾だけではない。無神論者について、『どんな理由で、彼らは、人は復活できないというのか。生まれることと、復活することと、かつてなかったものが存在することと、かつて存在したものが再び存在することと、どちらが一層困難のか。存在し始める事のほうが、再び存在することよりも困難のかどうか。習慣が一方を我々にとって容易にし、習慣のないことが、他方を不可能にする。何と通俗的な判断の仕方よ。…』と、パスカルも相当にへそ曲がりである。わが愛すべきパスカルの言葉に清々しい気分で今日も生きられそうな気がしてきた。  

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伊豆高原赤沢のトップ オブ ザ ワールド

2015年07月23日


名鉄赤沢の展望台からの眺めです。10年前は難なく登れたのに、車から降りての今回の階段は普段運動らしきものをしていない貧弱な体力が良く認識できました。からと言って、相変わらず運動して鍛えようなどとは根っから思いませんが。風が吹き荒れた翌日でしたから、夏の季節には珍しくすっきりとして見えました。利島と新島が見えます。利島には人が住んでいますし、新島には飛行場もあるはずです。釣りをする方なら行かれたこともあるでしょう。きっとおいしい魚が沢山泳いでいるのだろうと思います。一度、行ってみたいような気もしますが、見えても遠い場所なのかもしれない。この風景に魅せられて、きっと別荘を設けられたのでしょう。気持ちはよくわかります。

アルマ望遠鏡で巨大なブラッククホールの質量を測定できる資料をほんの2時間ほどで出したそうだ。活躍してます。そのブラックホールの大きさたるや、なんと質量が太陽のそれの1億4000万倍、地球からの距離が4500万光年…光の速さで飛んで行っても4500万年かかるのだからとても吾のお粗末な頭脳では想像さえしかねる代物であると表現するほかありません。地上の楽園に復活が叶ったのなら、宇宙に飛び出してそのブラックホールを覗きに行きたいと思いますが、そのようなことを願うのは妄想なのだそうで、復活した際自分が何をしたいかと考えるのは実際に即したものであるべきだ…と本で読みました。でも、やっぱり宇宙がどこまで続いているのか吾は知りたいと思う。  

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伊豆も暑いですが・・・

2015年07月15日
館林に比べればなんということはないのでしょう。どうして、舘林がそんなに暑いのか…傍には一級河川の渡良瀬川がとうとうと流れていて、田園風景が広がっているところです。気候自体が変わってしまったのかもしれないなと、連日のニュースを聞いています。


伊東はそれから比べれば、暑いと申しては申し訳ないような具合ですが、それでもこの気候に慣れてしまうと「暑い」と言う言葉をつい口にしてしまいます。花の写真を取りに出かけた友は留守でした。一度も上ったことのない庭の一番高い所に行ってみました。大きな朴ノ木の葉に遮られた日影がほっとさせてくれます。伊豆は真っ平な場所を探すのは大変です。大方が土地の一部又は全部が傾斜地であることが多い。友の家もご多聞に漏れず、家の建っている処だけが平坦な箇所です。その傾斜をそのまま、自然のイメージを素直に生かしてご主人と二人で何年も掛かって育てています。更地であった頃から知っている場所でしたが、このような庭に変身するなどと想像できませんでした。都会の方がこの光景を見れば、きっと羨ましく思われるのではないだろうか・・・と感じています。

トルストイが『人間は幸福であるためには二つの信仰が必要である。一つは人生の意味の説明があるはずだという信仰であり、もう一つはそのもっとも良き人生の説明を発見することである』と書いていました。無神論者である友が聖書を読み始めた。よく聞いてみたら、ビジネスのために欧米人と付き合う際に必要だからと書かれたものらしい。これから時折、彼女とこの話題について語ることになるのだろう。また、トルストイは、ある人の言葉として、信仰に関して書かれたものが、『我々に理解できるもの、我々の気に入るものでなければならない』というものが有るとも書いています。聖書を読んでいて吾が至った点は、全能者の思考回路は、不完全な人間のそれとは異なり、時折驚くほどに斬新でありユニークであるということです。どのようにしてそれを理解してもらえるかその方法を考える必要があるのでしょう。

  

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