日めくり Evangelical World 伊豆
伊豆高原のこれな~んだ?
2016年01月15日
里山ガーデンに花がなくなって、写真を撮りあぐねておりましたら、友が電話をくれました、バナナの花が・・・と。はて、バナナの花とは一体どんなものなのかと考えてみましたが、思い当たりません。行ってみると、本人は食べたものに当たったとかでダウンしていました。花と言うには程遠く感じる葉っぱの塊のように見えました。調べてみると、そのうち中から花が多分現れて(ひょっとしたらこの葉っぱのようなものが花なのかも知れませんが)、後に小さなバナナが出てくるようです。暇な方でしたら、観察記録のように写真を毎日撮って見るのも良いかもしれません。それにしても露地でこのような植物が生きていられるという暖かさに、感激しない人がいるでしょうか。今日は朝から雪を降らせるのではないかと思わせる雲が空を次第に覆いつつあります。北極から寒波が来襲との予報です。
殊の外低温であるために、何か心が温まる文章でもないかと思いラッセル卿の本を読んでいたが、温まらなかった。其れでは挑戦的なショーペンハウアーの言葉はと思い探してみました。『一切を自分に結びつけて考え、どのような思想を見てもそこから直ちにまっしぐらに自分へ立ち帰る哀れむべき人間の主観性を大がかりに立証するものは、占星術である。占星術は大きな天体の運行をみすぼらしい自我へ関係づけ、天の彗星を地上の争いやくだらぬ事件と結びつける。ところで、こういうことはいつの時代にも行われ、すでに最古の時代にも行われていたことである』との文章を見つけました。彼らしい表現であると笑いました。確かに聖書に於いても呪術は神が忌み嫌われるものの一つだと書かれています。現代でもその手の類の方はたくさんおられ、人気を博しているようですが、そんな人々がこの文章を見たらなんと言うだろうかと考えてちょっとエキサイティングな気分になりました。温まりはしませんが。
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