日めくり Evangelical World 伊豆

メジロもすなる・・・・伊豆高原

2015年01月31日
先日メジロを見に行きました折に、寒桜の下で夢中で写真を撮りながら、天気が良いのに霧雨かと感じるほどの雨が降ってきたように思いました。ところが、会社に戻りパソコンで写真を見ましたら、どうやら霧雨と感じたのはメジロのトイレタイムだったようです。




メジロだって、食べれば排泄するだろうとは考えたこともありませんでしたが、当然と言えば当然です。今度からは木の下で鳥の写真を撮るときには、絶対口を開けたりしないようにせねばならないと思いました。時間が有ったら、一日中鳥の生態を眺めてみたいように感じます。写真も吾のように忙しげに何枚も撮りまくるのではなくて、ゆっくりと構図など考えて撮ったらいいのでしょうが、気が短いのでなかなかそうはいきません。 

パスカルがこんなことを書いています。『人間に対して、彼の偉大さを示さないで、彼がどんなに獣に等しいかをあまり見せるのは危険である。卑しさ抜きに彼の偉大さをあまり見せるのもまた危険である。どちらも知らせないのは、また更にもっと危険である。だが、彼にどちらをも提示してやるのは極めて有益である。人間が獣と等しいと信じてもいけないし、天使と等しいと信じてもいけないし、どちらをも知るべきである』と・・・・。完全なる善人も完全なる悪人もいないとは言われます。だからこそ、人間の心の中を洞察するのは至難の業なのでしょう。生きていくうえで人の心の中を知りたいと思うことはありますが、神ならぬ元より不完全な人間のすることですから,無理な相談と言うことです。人間とはなんと不思議な生き物なのでしょう。  

Posted by 東和開発株式会社 at 09:45Comments(0)動物

伊東の街は雪ならぬ雨

2015年01月30日
昨日来の天気予報では雪だるまマークでしたが、幸いに雪は降らず雨がザーザーと音を立てています。大室山は雲がかかって見えませんが、もしかすると雪が降っているかもしれません。天城は絶対雪でしょう。それでも植物はちゃんと春が来るのを知っています。




多分コブシの蕾だろうと思います。そのうちネコヤナギも蕾を付けるようになるのが待たれます。日本海側は大雪とのことで、伊東から比べれば冬季の生活の大変さは比ではないでしょう。それでもしばらく温暖な土地に住んでいますと、それが当たり前になってしまうのが通弊です。感謝の念を培うのはなかなか難しいことです。東京は大雪警報が出されたとか---。

マルクス アウレリウスは本当にこのような方だったのでしょうか。曰く、『理性の光の中に己の生を置き、理性に奉仕する人にとって、この世に於いて絶望的な立場などと言うものはあり得ない。良心の呵責も知らず、孤独をも恐れず、騒々しい交際も求めない人―――――そんな人は高貴に生きているのであり、人々に対しては来るものは拒まず、去る者は追わない。そのような人は、自分の霊が果たして肉体の殻の中に長く留まるだろうか、とどまらないだろうか、と言ったことに心を掻き乱されない。その人の行動は、いついかなる時も、目前に死が迫ったときさえも変わるところがない。彼にとっても唯一の関心事、人々と平和に交際しながら、正しく暮らすことである』と。このように皆が考えることが出来れば、世界中の人々は平和で幸せに生きられるのだろうに。何と現実はかけ離れているのだろうかとため息が出そうだ。じっと手を見るの心境になってきます。  

Posted by 東和開発株式会社 at 10:23Comments(0)

護衛艦『いかづち』来る、伊東の海

2015年01月29日
旧日本海軍時代の軍艦の名前を使っているとありました。「いかづち」は雷の事らしい。名前は古めかしいが平成8年建造ですからハイテク軍艦なのでしょう。夕方家に帰り着いたら、海に浮かんでいました。




夕闇がやってくるころになると、平時の軍艦らしく電飾で賑やかにデコレーションされるのが楽しいことです。乗組員の水兵さんも小さなボートで伊東の街に上陸するのかも知れません。今年初めての来航でした。今年も、いろいろな船がいつものようにやってくるでしょうから、またベランダから写真を撮れます。日本丸が来るでしょうか・・楽しみです。

ラムネ(又はラムネー)はこのように書いているそうだ。『人々は往々にして、法律とか政府とか言った代物が力を籍してくれると思いがちがあるが、そんなことは決してない。なぜなら、法律を起草したり民衆を支配したりする連中もまた、我々と同じように肉欲や傲慢心や物欲の誘惑に苦しんでいる人々だからである。だからして、法律とか政治家とかをあてにするわけにはゆかない。其れゆえ、人々が自分の幸福のために為し得るただ一つのことは、自分の中の肉欲や傲慢心や物欲をなくすことである。一人一人がそうした自己改革を始めない限り、一切の改革は不可能である』。朝令暮改の法律は珍しくないし、ざる法なる言葉もあります。なるほど然り・・人間が作ったものはどんなに立派に見えるものも、いつかは崩れ去っていくのを考えるとラムネの言ったことは本当だと感じます。  

Posted by 東和開発株式会社 at 10:12Comments(0)

蝋梅も咲き始めました。伊豆高原

2015年01月28日
1月~2月に開花する蝋梅は英名でwinter sweet 、和名のロウバイは中国名をそのまま使っているそうだ。




一般的には黄色の花びらですが、濃い紫色や花弁の先が細くなっているコブシの花に似た形のものもあるとのことです。春に先駆けて強い芳香を放つ花だと書かれていましたが、鼻の良くないためかそのような香りを感じたことがありません。伊東には松川湖の山側のエリアにはロウバイがたくさん植えられています。まだ咲いてはいないのでしょうが、もう少したって咲きだしたら行って香を探してみようかと思います。

ハルドウェンと言う方の言葉だそうだ。『武装された世界と戦争、この二つがいつの日かなくなるとしても、それは決して皇帝たちやこの世の権力者たちの手によってではない。彼らにとって戦争はあまりにも有利だからである。戦争は、戦争のおかげで一番苦しむ人たちが、自分たちの運命は自分たちの手中にある事を悟り、戦争の災害から逃れるためのもっとも簡単で自然な方法に訴えることによって、つまり彼らを戦場に駆り立てる者、彼らを兵士にしようとする者の命令に従うことをやめることによって、はじめてなくなるであろう』と述べた由。日本から遠い中東での争いを見ていると、とても宗教を志す人々の事とは思えない。戦争と宗教とは本来不倶戴天のはずなのだから。トルストイは『神に従うことなしに、祈りによって神に嘉せられると思ってはならない。祈りとは―---汝が何者であるか、汝の人生においてなすべきことは何か?を汝自身に言い聞かすことにほかならない」と書いています。  

Posted by 東和開発株式会社 at 10:24Comments(0)

露地でもレモンの温かさ、伊豆高原城ケ崎

2015年01月26日
今頃が成り時だったのかと改めて眺めやりました。レモンがたくさんなっていて、まるで日本ではないような気分にさせられます。




花を探して友の庭に行ってみましたが留守でした。そのお隣の広い庭にこのレモンがありましたので撮ってみました。酸っぱいのは苦手ですが、こうして眺めるだけなら楽しめます。ヒマラヤが原産地とのことで、現在では世界中で生産されています。日本にはアメリカやチリからやってくるのだとのことです。ごく少量ですが、日本でも生産されていますが、値段が輸入物の何倍もしますから、用途によっては輸入物でも十分です。絵になる果物の一つでしょう。この木の持ち主もきっと観賞用に作っておられるのだと思います。先日会社のご近所の方から庭でとれたからと沢山レモンをいただきました。家に持ち帰り、木の器に盛って眺めている最中です。

ジョンラスキンという方の面白い話が書かれていました。『賢い消費は、賢い生産よりずっと難しい。20人でやっと生産したものでも、たった一人でやすやすと消費することが出来る。だから一人一人にとっても全国民にとっても、問題はどれだけ生産するかではなく、生産されたものが何に使われるかである。人々は普通、たった一人がどんなにやってみても、結局現代の産業や生産手段や貿易の仕組みを変えることも抑止することもできはしない、と主張する。私は、世間の長い耳の一方から入って一方から出てゆく数々の小賢しい議論、その心に何らの印象も与える事のない議論に思いを馳せる時、しばしば、もうこれから一生黙って自分が正しいと思っていることをやり、何事についても一切発言しまいと言う気持ちを抑えきれなくなる』と述べたと書かれています。ラスキンがどのような状況でこのように書いたかは知りませんが、後半の部分は何やら分かるような気がします。問うてみたい相手は大いなる遥かな方だけだと考えています。  

Posted by 東和開発株式会社 at 09:58Comments(0)

春の讃歌は伊豆高原城ケ崎のメジロたちから

2015年01月24日
四季の花公園では菜の花祭りが開催されています。菜の花ではなくて、寒桜の花の蜜を吸いにやってくるだろうメジロを見に行きました。今度の日曜日には多くの方が見物にやってくるでしょうから、その前に行ってみましたが、桜の花は5分咲きでしょうか。寒桜の廻りを彼らは飛び交っていました。










小さな体ではありますが、柔軟性に富み力強ささえ感じさせます。体全体や首を折れてしまうのではと心配になるほどに起用に曲げて花の中に頭を突っ込んで懸命に蜜を吸っていました。もとは熱帯地域の鳥だそうです。日本では北海道以外の市街地までやって来るポピュラーな存在なのだといいます。都会に住んでいた時はせいぜい飼われていたが逃げ出して繁殖したと思う尾長鳥と雑食の王様カラス、スズメぐらいのものでした。彼らのアクロバット飛行のような飛び方を眺めていると時間の経つのを忘れてしまいます。メジロの寒桜讃歌を鑑賞することは、伊豆での好きな時間の過ごし方の一つになりました。

トルストイは『良き召使は、恐らく自分の主人の生活をこまごまと知ってはいないで、怠け者の召使いだけが、何もしないで主人におもねるために、その生活や趣味やを探り出そうと努める。人間と神との関係もそれと同じである。大事なことは、神を主人と認め、神が私から何を求めているかを知ることであって、神とは一体何か、神はいかに生きるかについては私は決して知ることはないであろう。なぜなら、私は神と同格ではなく、私は召使であって主人ではないからである』と書いています。神が人間に何を求めているかを知ることは、生きていくうえで真に重要なことだと吾も思う。このような疑問に対する答えによっては生き方を変えてしまうものとなることを知っている。宗教ゆえに争いを起こす人々はこの点をよく考える必要があると思います。
  

Posted by 東和開発株式会社 at 09:58Comments(0)動物

心は燃えているか、伊豆高原

2015年01月23日
ブラジル原産だと申しますから、温かなところでしか育たないように感じます。しかし、関東一円でも寒さの一二を争う宇都宮市でも咲くのだとのこと。咲く時期は伊豆とは多少違うと思われますが、花も時代と共に住む場所の範囲が広がっていくのでしょうか。それともこれは地球温暖化のせいでしょうか。


何時日本に入ってきたのかはわかりません。カエンカズラなる命名をされており、大きくなるものは背丈が10mにもなるそうだ。伊豆高原の温室で咲き始めていましたが、露地植えならもう少し後になると思います。紅蓮の炎…のイメージだとのこと。あまり沢山咲いていると少し怖く感じます。英名はフレミングトランペット、細長い先から花が咲いて出るためにそう呼ばれるのかも知れません。

イスラム教徒は世界に9億人、ローマンカソリックに次いでの一大勢力です。今回の寛容さを欠く様々な事件を見ていて不思議に感じることがあります。イスラム教はキリスト教徒の言う旧約聖書の中のモーセ五書を、彼らの聖なる書物クルアーンの中で並行記述しているそうです。となると、当然ながらレビ記、民数記、申命記などの外国人に対する記述もあるのではないだろうかと思う。『あなた方も外人居留者に愛を示さなければならない。自分たちもエジプトの地で外人居留者となったからである』と申命記には書かれています。アラブ人は客人を非常に大切にすると聞いています。簡単に命を奪うような、そんな教えはイスラム教にもキリスト教にもないと思うのですが。  

Posted by 東和開発株式会社 at 09:58Comments(0)

キュウちゃんの春は如何に:伊豆高原

2015年01月22日
犬の年齢換算早見表を見てみるとキュウちゃんは人間なら90歳前後。何時も呼び掛ける前に吠えるのに、今回はぼんやりしていてちっとも迫力がありません。相変わらずご近所さんと里山に日課の散歩に来ていましたが、淋しい限りでした。


キュウちゃんの「キュ」と言う前にもういつもなら吠えているのが、大人しく眩しそうな眼をして眺めているだけでした。白内障も患っているとのこと。ご近所さんにおやつをもらう時だけは少し元気に見えましたが、それも本当の元気さではないように見受けました。太ってはいけないと獣医さんに言われているそうです。でも百まで生きるわけではないから少しは多めにあげてもいいのではないだろうか・・・と思います。キュウちゃんのそんな姿を見ると、思わず両手を差し出したくなりますが、多分喰い付かれることでしょう。キュウちゃんの歯はまだ立派です。

マルクス アウレリウス曰く、『汝の重荷を負い、そこに汝の幸福があることを知れ。、その重荷から汝の理性的生活に必要なものを摂取せよ。あたかも胃が食物から体に必要なものを摂取する如く、あるいはまた、火が何かを投げ込まれると益々燃え盛る如く』。昨日も友人と話をしていて、まったくそのように感じました。日々の思考回路を作り変えるのを急がなくてはなりません。キュウちゃんの状態は見ただけでわかるのですが、どうも己のことは頭では分かっているが、実感が伴いません。困ったことです。  

Posted by 東和開発株式会社 at 09:38Comments(0)動物

伊豆高原のジェントルマン、ジョウビタキ君

2015年01月21日
里山ガーデンに何か春を感じさせる植物はないだろうかと伺いましたが、何にもなくて入園料はいらないとのことでした。冬の庭はこんなものであると見て行ってくださいと御主人の優しい言葉です。葉の落ちた木の枝に何やら美しい色の小鳥が止まっています。ジョウビタキの雄で頭部は銀白色、顔は黒、おなかの部分は濃いオレンジ色です。




何という鳥かとの独り言に傍にいらした御婦人が「ジョウビタキ」だろうといわれました。「尉」(ジョウ) とは銀髪を意味し、「火焚」(ヒタキ)は火打石を打つ音に似た声からそう呼ばれると書かれていました。小鳥の名も意味があるのだとなと感心。小さな頭を下げたり、尾を振ったりするのが謙虚さの表れと感じる可愛らしい鳥でした。花が無くても里山ガーデンに行ってよかったと、鳥に会えたことを感謝しつつ戻りました。


昨日NASAから、「150光年彼方に地球の1.5倍の惑星が発見された」と言うニュースがあった。光の速さで行って150年掛かるのですから、とても生きているうちにはその惑星がハビタブルゾーンであるのかどうかなどわかる由もないような気がします。レッシングと言う方は、『空想家はしばしば正確に未来社会を空想するが、ただ待とうとしないのである。彼は自分の力でそれを近づけようとする。自然にとって千年を要するものが、自分の生きているうちに成就するのを見たがるのである』と述べたそうだ。待つことは凡人の我には難しく感じる事でありますが、本当に大切なことでもあるとは我が人生の尊敬する先輩の言葉でした。150年間待つわけにもいきませんが・・・。
  

Posted by 東和開発株式会社 at 10:29Comments(0)

春よ来い! 伊東の海

2015年01月19日


今朝は思わず感嘆の声が出たほど年寄染みた何とも力ない優しさに溢れた空と海の色に心打たれました。そのように其の儘撮りたいのですが、そういかないのが悲しく思われます。2月中旬になれば、きっと鶯が鳴き始めます。もうすぐですから寒さにめげないでその日を待ちたいものです。今日は3階のフロアーでお年寄り参加の体操教室が催されるそうです。どのようなものでしょうか。その手の行事にはとんと興味がありませんが、どのような方々が参加されるのかは少し好奇心が涌いてきます。会社の中が賑やかになってきました。

今朝の美しい空と海を眺めながら、ジョンラスキンのこのような言葉があるのを思い出した。『神は人間の目が捉え得るよりもずっとずっと多くの美しいものを創造したもうたことを思えば、諸君は喜ぶべきだし、反面、人間は自分の魂が理解し、手が矯正し得るよりはるかに多くの悪を為してきたことを思えば、悲しむべきである』。毎朝のこの朝の情景は、吾人生においていかに大切なものであるかを今朝も再認識致しました。海も空も人間がどれほど汚そうが、いつも毅然として美しく、汚した者たちにも平等に慰めとなっているのを想うと誰もが大いなるものを感じるのではないでしょうか。日々己の心を新たに作り直す作業を諦めずに続けなくてはならないと考えています。  

Posted by 東和開発株式会社 at 10:46Comments(0)