日めくり Evangelical World 伊豆
冬のカウントダウン、伊東の海
2014年10月27日
10月15日はここから日が昇りました。
今朝は新井の山陰にもう少しと言う場所からの日の出でした。冬が到来します。
春が訪れるまで太陽が水平線から昇る光景は目にできません。美しい朝の空と海の表情がしばらく望めないのは淋しく感じます。自然が心を慰めるものであることをこの崖の上の部屋に住んで初めて気づきました。何十年か後にもこの海の優しさがそのままであろうことを願う気持ちでいっぱいです。いつもそこにあったにもかかわらず、気づかずに過ぎて行った時間が少々惜しくも感じます。都会は都会なりにきっと自然があったろうに、それを見る心がありませんでした。
ヨセフ マッジニの言葉と書かれていました。『全能の神の言葉は述べつくされていないし、その意思はまだすっかりは啓示されていない。神は人間の頭脳では捕捉できないほどの永劫無限の時間を通して創造しつつあるし、この後も創造するであろう。過去はただ、彼の創造のほんの一部を我々に示しているだけである。我々の仕事に終わりと言うものはない。我々はその源をほとんど知らないし、その最終的目的など全然わからない。時間や知識や様々の啓示は、その限界を広げるにすぎない。世紀を重ねるにつれて、我々がほんのその一部しか理解できない自分の法則を模索しつつ、我々に知られない運命の高みへ登って行くのである』と。創造主の一日は人間の1000日にもあたると聖書には書いてあります。人間の知っていることなど針の先ほどのものでもないのだろうが、マッジニさんの言うことが正しいのか、聖書に書いてあることが正しいのかわが命の存在するうちに知りたいような気もします。
今朝は新井の山陰にもう少しと言う場所からの日の出でした。冬が到来します。
春が訪れるまで太陽が水平線から昇る光景は目にできません。美しい朝の空と海の表情がしばらく望めないのは淋しく感じます。自然が心を慰めるものであることをこの崖の上の部屋に住んで初めて気づきました。何十年か後にもこの海の優しさがそのままであろうことを願う気持ちでいっぱいです。いつもそこにあったにもかかわらず、気づかずに過ぎて行った時間が少々惜しくも感じます。都会は都会なりにきっと自然があったろうに、それを見る心がありませんでした。
ヨセフ マッジニの言葉と書かれていました。『全能の神の言葉は述べつくされていないし、その意思はまだすっかりは啓示されていない。神は人間の頭脳では捕捉できないほどの永劫無限の時間を通して創造しつつあるし、この後も創造するであろう。過去はただ、彼の創造のほんの一部を我々に示しているだけである。我々の仕事に終わりと言うものはない。我々はその源をほとんど知らないし、その最終的目的など全然わからない。時間や知識や様々の啓示は、その限界を広げるにすぎない。世紀を重ねるにつれて、我々がほんのその一部しか理解できない自分の法則を模索しつつ、我々に知られない運命の高みへ登って行くのである』と。創造主の一日は人間の1000日にもあたると聖書には書いてあります。人間の知っていることなど針の先ほどのものでもないのだろうが、マッジニさんの言うことが正しいのか、聖書に書いてあることが正しいのかわが命の存在するうちに知りたいような気もします。
この記事へのコメント